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【雑感】CYNIC「Ascension Codes」に寄せて

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元ドラマーだったSean ReinertとベーシストのSean Malone、2人のショーンが相次いで他界した絶望の2020年を乗り越え、CYNICの最新作「Ascension Codes」がリリースされました。
このアルバムを聴きながら、とりとめのない話を「CYNICと私」とでもいうべき雑稿にしたためました。
いわゆるCDレビュー的な内容は少なめの、あくまで備忘を兼ねた個人的な記録ではありますが、このブログに掲載する形でネットの海に放流しておこうと思います。

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CYNICとの出会いとフレットレスへの取り組み

私がエレキベースを弾き始めたのは中学生の頃です。
自分にとっての音楽の原体験であるXに始まり、ジャーマンメタルやメロパワ/メロスピ、DREAM THEATER等のテクニカルなメタル、世界的な人気を獲得する前夜に日本での隆盛を迎えていたメロデス等を経由しつつ、KORNをはじめとして当時「ラウドロック」や「モダンヘヴィネス」と呼ばれたジャンルの全盛期だったこともあり、メロディより重さを重視した音楽も愛聴していました。

そして大学に入学した私は、プレイヤー目線での興味(および軽音サークルの体育会ノリへの苦手意識)を発端としたジャズサークルへの入部をきっかけに、フレットレスベースを身近に感じるようになりました。
ただ、その時点において、ジャズ/フュージョン分野におけるフレットレスベースは「自分でも実際にフレットレスを演奏したい」と感じるまでの衝撃を与えてはくれませんでした。
ジャズの中にも好きなものがたくさん見つかったという収穫こそあれ、結局のところ、私の音楽的嗜好のメインはそっち方面ではなかったのでしょう。

そんな時期に遅まきながらその存在を知ったのが、DEATHやATHEIST、SADIST等の「プログレッシブデスメタル」と呼ばれるジャンルです。
その中でも一番ハマったのがCYNICでした。
当時においてCYNICは、既に「1993年のアルバム『Focus』1枚のみのリリースで解散してしまった知る人ぞ知る伝説のバンド」だったのですが、「デスメタルと浮遊感あるメロディの融合、シンセによるスペーシーなサウンド、変拍子、さらにベースはフレットレス」という独特過ぎる音楽性は、私にフレットレスベースへの挑戦を決意させました。
フレットレスに魅力を感じたこと自体はジャズに接する前からありましたが、私が実際にフレットレスベースを演奏するきっかけになったのはSean Maloneの演奏だったのです。

【これらのバンドを含むフレットレスデスメタルについては過去記事で書いています↓】

フレットレスデスメタルベーシスト列伝
このブログのカテゴリー「ベーシスト紹介」では、エフェクターの使用に着目し、私が影響を受けたベーシストを「エフェクターベーシスト列伝」と称して紹介してきましたが、今回はちょっと脱線して番外編です。 私自身がデスメタルバンドでフレットレスベース...
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歓喜のCYNIC再結成、そして奇跡の来日公演

そのような状況だったからこそ、2006年のCYNIC再結成は大きな驚きでした。
その後2008年にリリースされた「Traced in Air」は、デスメタル色が後退した分「CYNIC宇宙」的な世界観がさらに推し進められた名盤でした。
私は今でもこのアルバムを愛聴しています。「人生で一番聴いたCDは?」と聞かれたら確実にこれです。

そして3ピース編成となり、完全にデスメタルから脱した2014年の3rdアルバム「Kindly Bent to Free Us」を経て、なんと来日公演が決定。
東京2日、大阪1日の3Daysです。
生で見ることなど一生叶わないだろうと思っていたバンドのライブに行ける!

ここで個人的な話になるのですが、私にはちょっとした持病のようなものがあり、障害者手帳も保有しています。
今でこそ障害者雇用で多少まともに働けていますが、以前は職場の対人関係で失敗することも多く、仕事が長続きせずに経済的に困窮することもしばしばでした。
そのような状況に陥るたび、私は「生活のために音楽機材をすべて売却し、少し余裕ができたら機材のランクを落としてちまちま買い直し、結局それもまた全て売る羽目になり…」ということを懲りもせずに繰り返しています。
当時もまさに生活状況が悪化しつつあり、正直「ライブなんか行ってる場合か」という状況でした。

それでもなお、私には「これを逃したら一生後悔する」という確信めいたものがありました。
そしてどうにかお金を捻出し、大阪公演のチケットを確保したのです。
チケット予約解禁の瞬間にアクセスしたらサイトが落ちるというトラブルもありつつ、何度かの挑戦の末、かなり早い番号を取ることができました。

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2015年9月6日@アメリカ村DROP

さて、来日の最終日程となる大阪公演当日です。

大阪に出かける機会がめったになくなっていた私は、当時所有していたエレキベースの回路の調子が悪かったことから、購入した大阪の某楽器店に持ち込んで修理に預け、そのあと会場に向かおうと考えました。
ところが、ベースの修理はその場での短時間の作業で完了してしまいました。
「今からライブを見に行くけど、終演後には閉店時間を過ぎてしまうので明日以降まで預かっといてほしい」などという理由で楽器を預けっぱなしにするわけにもいきません。
やむなく私はベースを担いだままライブハウスに出向き、手荷物としてクロークに預けました。

そして開演を待つ会場内、私は最前列近くに陣取ることに成功しました。
とはいえ、完全なるぼっち参戦です。
約1時間、手持ち無沙汰で過ごすのもさすがに…と思いながら場内SEを聴いていたところ、横にいた方の「この曲なんだっけ?」という会話が耳に入りました。
普段の精神状態ならそんなことは絶対できないのですが、気分が高揚していた私はついその声に反応してしまいました。
「LOUDNESSの…」

自分が口を開いたことに気付いた瞬間、私は正気に戻りました。
いや何やってんだ俺は。見ず知らずの人の会話にいきなり割り込んで完全に変な奴やないか。めっちゃ「え?誰こいつ」「知り合い?」「いや知らん」みたいな顔されてるし。やっちまった。
しかし、その3人組の方は私を会話の輪に入れて下さり、結果としてPlini〜CYCLAMEN〜CYNICの転換の間も寂しい思いをせずに済みました。
その節は優しくしていただき大変ありがとうございました。

そんなこんなでCYNICの登場が近づく中、外タレの大阪公演としてはなかなか無いレベルに埋まったフロアの後方から「Sorry! Sorry!」と言いながら大柄な外国人男性が割り込んできました。
なんだなんだ。おいおい最前列まで割り込んできたぞ。そのうえ強引に柵を乗り越えてステージに乱入しようと…えっこの人ショーンレイナートじゃん!みんなで尻を押してあげよう!よいしょ!
なんかその後ろからもう一人外国人男性が…あっショーンマローンだわ!ライブ楽しみにしてます頑張ってください!
こんな登場の仕方は個人的には初めてだったので面食らいました。
(※なおPaul Masvidalは普通にステージ奥から出てきたが、これは「メンバーが行動を共にしていない」ことの証左であり、ある種の伏線だった)

このライブについて、恥ずかしながら私は多くを語る語彙力を持ち合わせていません。
最前だけあって音のバランスはさほど良くなく、ベースが聴き取り辛かったのも正直なところです。
しかし、眼の前でSean Reinertのスティックさばきを堪能できたことは貴重な体験となりました。
当日の様子はカメラが入っており、1曲目のEvolutionary Sleeperは収録されていませんが、YouTubeで全編公開されています。

【Sean Reinertの過小評価については過去記事で書きました↓】

CYNIC「Evolutionary Sleeper」に学ぶSean Reinertのツーバス左足スタート奏法
【2020/1/26追記】Sean Reinertが亡くなりました。彼の革新的な演奏が少しでも多くの人に届きますように。R.I.P. 昔からCYNICが大好きで、中でも2008年の復活アルバム「Traced in Air」は超名盤だと思って...

そして終演後、私を会話に入れて下さった皆さんやその知人の方と「いやー凄かったっすね」と談笑していたところ、「なんか中でメンバーがサインしてくれてますよ」との声が。これはフロアに戻らねば。
ただ、皆さんが思い思いのグッズ等にサインをしてもらっている中、私はサインしてもらうのに適切なものが手持ちに無く、その様子を眺めていました。

「いやお兄さんベースにサインしてもらったらいいんじゃないですか?」
え?いやいやペンないですし、と言っていたら「貸しますよ」と。えっどうしよう。
なんか周りからも「あーあの人楽器持ってきてるやん!その手があったか」とか言われてるけどえっ?いやそういうつもりじゃないんですがこれは。あっ引っ込み思案の自分に代わってSean Maloneに声をかけてくれた人まで。これは行くしかない。
ベースのヘッド裏にサインをもらった私は、苦手な英語で「今日たまたまベースを持ち歩いていた、このベースはフレッテッドだけどフレットレスベースも弾いている、あなたの影響でフレットレスを弾き始めた」と伝えるので精一杯でした。

ただ、ここまでエピソードを披露しておいて自分自身でも悲しい限りなのですが、すでに私の手元にこのベースはありません。
先に書いた通りの経済事情により、この少し後に食うや食わずの状況にまで陥ってしまった私は、そのベースを含む全ての音楽機材(どころか換価できる私物の大半)を売却せざるをえなくなってしまったのです。
当時私の手助けをしてくださった皆様に深くお詫びするとともに、現在のオーナーにベースが大切にされていることを願うほかありません。
また、この時知り合った方で現在もSNSで仲良くしてくださっている皆様、改めてありがとうございます。
終演後にSean Maloneのエフェクターボードを見ながらEBSについて語っていたのもTwitterでよく見る方だったりするのでしょうか。

話が逸れてしまいましたが、この大阪公演の後の騒動を覚えている方も多いでしょう。
日本公演の数日後に行われるはずだった中国・台湾公演は突如キャンセル。
Facebook上での唐突な解散発表。
「いや解散などしていない」とメンバー間で食い違うバンド存続に関する見解。

その後、正式にSean Reinertが脱退を発表するまでには2年以上を要しました。
結果、この2015年の大阪公演が、Paul MasvidalとSean Malone、Sean Reinertというメンバーで行われた最後のライブになってしまったのです。
「これを逃したら一生後悔する」という予感は、図らずも現実のものとなってしまいました。

「Ascension Codes」に抱く複雑な思い

後任ドラマーとしてMatt Lynchを迎えたCYNICは、2018年にシングル曲「Humanoid」を発表。
この路線でのフルアルバムを楽しみにしていたファンも多いでしょう。

しかし、Sean Maloneの他界により、この「2018年のCYNIC」もまた、2度と目にすることができない存在となってしまいました。
そして2021年リリースの最新作「Ascension Codes」制作にあたってPaul Masvidalが下した判断は、「新たなベース奏者を加えず、ベースパートはキーボード奏者によるものとする」という在り方でした。

この決断を「最善の方法」と評価しているファンの方は多いのだろうと思います。
例えば過去にベーシストとして在籍したRobin Zielhorstを再度招く、あるいは複数人のゲストベーシストに演奏してもらう、という選択肢もあったでしょうが、それはあくまで「Sean Maloneの代役」にほかならず、追悼の意を示す一つの形としての「ベーシスト不在のアルバム」に文句のつけようなどありません。
Dave MackayによるベースパートがCYNICの音楽に新しい色彩を与え、アルバムの完成度に大きく貢献していることも純然たる事実です。これがPaulの目指した構築美の一つの完成形なのでしょう。

しかし、どうしても考えてしまうのです。
CYNICファンで、かつベーシストであるなら、少なからずは同じように感じるのではないでしょうか。
「それでもエレキベースでこの作品を聴きたかった」と。

無論、新たなベーシストを迎えずに新譜が製作されたことには十分すぎる理由が提示されています。
それでもなお、エレキベース奏者の端くれとして100%納得できるかと言われたら、首を縦に振るのは難しいです。

加えて、以下は完全に私の個人的な考えですが、そもそもエレクトリックベースという楽器は「低音楽器」を名乗りながらもその低音域においてさえ不完全なものです。
一般的な4弦エレキベースにおける最低音E0は言うに及ばず、低音域を拡張した5弦ベースの最低音B0でさえ、88鍵ピアノの最低音A0に及びません。
そのうえ、エレキベースの低音域の音像は極めて不明瞭です。
ピアノの低音域のような透明感もキーボードの低音域のような安定感もない、バンド内での音抜けに絶えず試行錯誤を求められる不完全な楽器。
もちろんそれこそがエレキベースの面白さであり、私がベースを飽きもせずに弾き続けている理由なのですが、同時にそれは労せずして理想の低音表現が行える鍵盤楽器へのコンプレックスでもあります。

そのエレキベースの役割が、大好きなバンドの最新作において、鍵盤楽器にリプレイスされているという事実。
しかも当然のように、そのベースパートが物凄く聞き取りやすいのです。
ギターにもドラムにも埋もれない存在感がある太いベース音。
誤解を恐れずに突き詰めて言ってしまえば、それこそが自分がエレキベースから出したいと常々考えている音の理想像なのですから。

「ベース」によらないベースパートがもたらした完成度

とはいえ、やはり素晴らしいアルバムなのは間違いないと思います。
バッキングから有機的な要素が排される結果となったことで、逆説的にPaul Masvidalの歌とギターに備わるスピリチュアルな質感が強調され、絶え間ない音の洪水にはCYNIC宇宙の極致とも言うべき世界観が隅々まで行き渡っています。
加えて、重々しい展開になるのかと思ったらならない、思わぬところでメジャーな音遣いが出てくる等、「もっと悲しい曲にしようと思えばいくらでもできたろうに、あえてそうしていない」と感じられる箇所が数多くあり、バンドのストーリーと今後の展望を明確に示す意図を感じずにはいられませんでした。

そしてやはりプレイヤー目線で特筆すべきポイントが、人力ドラムンベースの域に達したMatt Lynchのドラムです。
ゴスペルチョップスを経由した近年の技巧派ドラマーに見られる強烈なグルーヴ感と圧倒的な手数の両立には、Sean Reinertとは全く異なる方向の卓越性を感じます。
「凄いメタルドラマー」と言われる人は、ブラストビートのスピードやツーバスフレーズの巧みな足技等に着目すればたくさんいますが、特定のジャンル内で誰かを引き合いに出すよりは「幅広いドラムテクニックを網羅しているのでツインペダルも当然余裕」的な文脈にいるのではないかと思います。
また、なんと彼は両手ともリバースグリップ(スティックの細い方を持って太い方で叩く)でこのスティックコントロールなのです。えぐい。

何より、個人的な思い入れを抜きにすれば、本作におけるDave Mackayの貢献度は八面六臂と称賛するにふさわしいものです。
中でも地味に凄いのが、ベースパートに一切の違和感を抱かせない点です。

メタルを中心に音楽を聴く人にとってはあまり注視する機会のないポイントかもしれませんが、たとえジャズ・フュージョン界における超大御所プレイヤーであっても、キーボード奏者が弾くベースラインというのは大体「多少斬新なことはあっても正直つまらない」ものです。
これは「やっぱベースラインはベーシストが弾かなきゃね笑」という一種の矜持でもあります。
しかし、本作のベースラインは独創性を保ちながらも常に自然であり、鍵盤奏者の弾くベースパートに対する高いハードルを余裕で超えてきました。
もはや「エレクトリックベースを模した音でのベースの打ち込み」など不要なのではないか、と思わせるレベルです。
ベーシストにこそ、このアルバムのベースパートに注目して聴いてほしいです。

果たして今後CYNICがどのように活動を継続していくのか、現時点では分かりません。
正式なベーシストが入るのかもしれないし、入らないのかもしれない。
ともあれ、その点には関係なく、私は今後もCYNICの音楽に魅了され続けるのでしょう。

最後に、ライブでも披露されたPaul MasvidalとSean Maloneのデュオ編成による「Integral」を聴きながらお別れしましょう。
RIP Sean Malone.

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